2022/08/04

MUJI・悲…過呼吸っぽい

 猛暑の中、昼過ぎに区役所へ赴き用事を済ませて外に出た途端に気分が悪くなり区役所の駐車場でうずくまっていると警備員に見つかり「ここ邪魔だから」と移動させられる。無慈悲!
仕方ないので端っこの方で、もうきちんと座れないのだがそれでもかろうじて明け方の新宿二丁目に居る酔い潰れたオネエのような崩れた女座りを保ってグッタリしていると、今度は別の警備員がやって来て「涼しいところで休んだ方がいい」と冷房の効いたロビーの席に腰掛けさせてくれた。そしてしばらくロビーで休ませてもらい、もう大丈夫かな?と再び外に出たらやっぱりダメで、でもまた邪魔なところでうずくまると怒られるから、自ら駐車場の端っこの、白い小さな花の咲いた花壇の陰に身を隠す。

 しかしアスファルトの照り返しも熱く、気分もますます悪くなるどころか持ち前の過換気症候群が勃発し、座ってもいられないので熱いアスファルトに倒れ込む。「換気症候群とは、ストレスなどの原因で呼吸過多になり、頭痛やめまい、手の指先や口のまわりのしびれ、呼吸困難、失神など、さまざまな症状を起こすものです。過呼吸症候群ともよばれています。呼吸が速く浅くなって、空気を吸い込みすぎる状態になり、血液中の二酸化炭素が少なくなって起こります。呼吸をしているのに空気が吸い込めないと感じて、「このまま死ぬのでは」といった恐怖にかられます。傾向として、男性よりも女性、しかも若い世代に多く見られますが、これが直接的に命にかかわることはありません。」(日本医師会ホームページより)
 というワケでただの過呼吸だし自身の経験からもしばらく横になって休んでいれば落ち着くので、人目に付きにくいこの花壇の傍で横たわっていればそのうち回復する見込みなのである。

 しかしいくら人目に付かないと言っても完全に見えない場所ではないので、通りがかりの人や区役所の職員であろう人などもチラッとこちらを見るものの皆無視して通り過ぎて行き、何なら汚物を見るかのように一瞥されるのである。無慈悲!
それもそのはず、痺れにより手は曲がりくねり、半目を剥いて前衛舞踏のような姿で転がって時々ビクンビクンと脈打つだけの物体と化しているのだから。ホームレスか、そういう路上パフォーマンス(?)とでも思われてそう。
でももしこれが小綺麗な格好をした若い女性やきちんとスーツを着た立派な男性だったら皆同じように見て見ぬふりをするだろうか?見た目って大事…と、この期に及んでルッキズムについて考えてしまったり。

 …暑い。遠くで雷が鳴り出して一雨来そうだ。
 眼前の蒸したアスファルトの上を蟻が歩いている。
 その蟻が自分の体に這い上がるのを感じる。
 花壇の白い小さな花がたくさん散っている。
 この花、なんていう名前だったかな?
 確かこすると石鹸の香りがして、子供の頃よくそうやって遊んだような…

そんなとめどもない数々が頭の中をぼんやり横切るだけの時間。
現実と乖離された夢のような苦しい時間。

 しばらくすると上下作業着の男性がやって来て「大丈夫ですか?救急車呼びますか?」と声を掛けてくれた。でももう唇も痺れてるし、とっさに上手く返答が出来ずにいるとその男性が警備員を呼んでくれたのだが、来た警備員というのが最初に「ここ邪魔だから」と僕をどかした警備員だった。そしてその警備員が今度は何を言うかと思ったら「この人、さっきもこうだったよ。(だからほっといていいんじゃない?のニュアンス)」だったので作業着の男性もそのまま立ち去り。無慈悲!

 別に助けて欲しいワケじゃない。
 ここでしばらくこうして横になっていればいいんだから。
 だから、どうせなら完全にほっといて欲しい。

 しかしその願いも叶わず、またも通行人に発見され今度は区役所の職員達にも取り囲まれる。とりあえず救急車をという流れになったもののコロナ禍なのと熱中症患者も多い時期なので119番に全然電話が繋がらないらしい。
炎天下に転がしとくのも…って事で車椅子に乗せられ区役所の玄関先に収納される。
経口補水液のゼリー飲料版みたいなのを渡されるが吸う力もなく、車椅子の上で前のめりに歪んで折りたたまれた体によって押し出されたゼリーが一度は口に入るもボトボトと足の甲に落ちるだけ。
体はたまに痙攣し、目はきちんと開かなくなる代わりに涙がどんどん出て来て、涙と鼻水とゼリーで顔をグシャグシャにして白目剥いて、そういうフェチの人にはたまらない形相になりながらしばらく待っていたら救急隊員が到着したみたいだけど、今度はベッドが空いてる搬送先がなかなか見付からないらしい。

 救急隊員にそれを告げられ、どうしたいか訊かれたので「とりあえず横になりたい」と文字通り息も絶え絶えに返答すると、区役所の人にどこかロビーに椅子並べてでも横に出来ないかたずねてくれたんだけど「他の来庁者の目もあるし、もうすぐ閉館時間だから」と拒否される。無慈悲!役所閉まるの17時だから、もうそんな時間?
この場で横になれないなら搬送してもらった方がいいですと再度伝えて、なんとか病院を探してもらい「応急処置用のベッドしか空きがないから100%帰宅出来るなら」という条件の病院へ搬送される事に。

 ストレッチャーにくくり付けられ救急車に揺られ、どこかの病院の処置用ベッドに移されて、点滴と血液検査の準備が行われているのを感知すると今度は注射恐怖症を起こしてベッドで暴れる情けない中年。「ベッド壊れるから!」と若い看護師に叱られ、体を押さえつけられながら点滴投入。医師が「点滴に赤玉入れといて」というのも聞き逃さず。赤玉というのはもう禁止になった鎮静剤の俗称なのだが、この病院では鎮静剤の事を全般に赤玉と呼んでいるのか、それとも在庫処分に使われたのかは知る由もなく。
更にハーフパンツをめくられ下着をズラされてキンタマの横辺りの鼠径部にも針をブッ挿そうとしてくるのでますます暴れてベッドから落ちそうになるわ枕に噛み付くわのイヤイヤ期真っ盛りおじさん。動脈の血液検査らしいが、もういっそ殺して!(大袈裟)って感じだし、なんならパイパンなのがちょっと恥ずかしいし。

 とりあえず点滴刺さって安定しやっと落ち着いてしばらく静かに横たわってると、点滴に混ぜられた鎮静剤が効いてきたのかトロ〜ンとしてくる。そこで医師からの問診。当然呂律も回らないので、鎮静剤入れた後で問診する?と思ったけど、他にタイミングないわなー。
 血液検査の結果、やはり過換気症候群で(知っとるわ!)他に特に異常もなく、ただ体内の酸とアルカリのバランスがおかしいと。市販の解熱剤などを乱用してるとそうなるらしいがそれはしてないので、じゃあ栄養失調気味だと。(昔からなぜかそう言われるんだけど!それでも生きてるんだけど!)あとは過換気による一時的なものかもと。
全部自分で知ってる事を改めて報告されただけで、点滴が完全に終わるまでボーッとしたりウトウトして、点滴終わったら処置も終わりって事で、鎮静剤がまだ効いた弛緩した体で帰宅。

 救急車で運ばれると自分ではどこの病院に行ったか判らないから病院を出た時の浦島太郎感すごくて、ここどこ?みたいな。
もうコレは搬送先ガチャみたいなもんなんだけど今回はわりと当たりで、駅までも近いし家からもわりと近め(2駅)の病院だったのが救い。遠かったりすると更に気が重くなるので。
そしてまた知らん病院の診察券ばかりが増えるのであった。

 道端に誰かが倒れてたら貴方はどうしますか?
 助ける?ほっとく?相手の身なりによる?時間があれば助ける?
 助けた相手がただの過呼吸で、搬送先の病院でちょっと休んだらもうケロッとしてても?
 ほっといてもらってた方が早く楽になってたかもなんて思われても?

 僕は声かけちゃうな〜
 

2021/05/31

『逢燦杰極譚』

 2021年5月29日(土)に、なかのZERO大ホールで行われた芸能山城組のAKIRA公演『逢燦杰極譚』(あきらじぇごぐだん)にコーラスで参加させてもらった。
芸能山城組には「祭仲間」(正規の組員ではないが諸々手伝いなどで参加するメンバー)として前回のケチャまつりに参加して以来、その時の様子はコチラ。

 『AKIRA』はもう説明不要なレジェンド作品だし、そのアニメ映画の音楽を担当した芸能山城組の劇伴も国内外でいまだ人気、そのAKIRA楽曲にスポットを当てたそんな栄えある公演に自分も参加出来るとは、人生って思いも寄らない事が起こるもんで。

 年末から3月までの約3ヶ月間入院していたのだが、ちょうど退院して体力も整った頃に合唱メンバーとしてお誘いを受け快諾、男子最高音パートとして稽古に参入。公演自体がコロナ禍の緊急事態宣言を受けて去年から2度の延期、稽古も感染対策を徹底して手指の消毒からPCR・抗原検査を実施。人と人との間隔を空けなければならないので合唱では隣の人の声や他のパートの声も聴き辛いし、楽器と合わせての稽古はほとんど出来ずでなかなか難しかったけど、その都度改善を求めて稽古をし、本番会場のなかのZERO大ホールは音響設備が凄くて壁にスピーカーが埋め込まれていたり巨大な反響板で囲われてるのでまた声の響きが違ったり楽器の音量に声が負けてしまったりで、会場に入ってからも調整を繰り返す。

 楽譜の暗譜はもちろん、今回は陀羅尼(だらに/サンスクリット語のお経を意訳せずに原文をそのまま音読したもの)を使用した曲が2曲あったのでそれを憶えるのが一苦労!寝る前や街を歩きながらブツブツと経文を唱える怪しい日々。

 そして公演タイトルにもあるように今回は巨大な竹を使った楽器・ジェゴグがフィーチャーされてるんだけど、ホールで増幅されたジェゴグの音がまた凄い!今まで僕はジェゴグの音色には雨、特に熱帯雨林のスコールのイメージがあったんだけど、重低音は地底から吼えるようだし高音は光の囁きのようで、地獄から天国まで網羅する音。さらには倍音で人の声のような音が聴こえる時もあり、とても不思議だった。気配がある楽器。
低音で使われている竹は抱えるほど大きいので搬入なども大変なんだけど、かぐや姫何人分だろう?ってくらい竹を運んだよね。

 さて本番。前日の仕込みも含めバタバタしつつも適度な緊張と、それにも増して公演を一年待ってくれたお客さんも大勢なので期待に応えたいという意気込み。元々は1日1回公演の予定で、満席で完売してたものを劇場の客席を50%にしなければならないという国の方針でキャパを半分に減らした分、2回公演に。キャンセルがあった分を追加販売するもそれも完売、実質満席のお客さんに囲まれるという最高の環境。
それに応えるべく音響も山城組の組頭・山城祥二先生自らジェゴグの竹一本一本までサウンドチェック、ホールの特性を最大限に活かした音と声を届けられるようセッティング。
AKIRA曲のみならず、漫画原作者の大友克洋氏がこれを聴いて山城組に音楽担当を打診したという所縁のある曲や、ジェゴグをお客さんの前で解体して仕組みの説明をしたりも。

 一言で合唱といってもこれもなかなか奥深く、基本的な声の出し方を始め、曲ごとの表現手法の違いや、舞台上での立ち振る舞いも含めてけっこう多くの要素があって稽古で教わった事を一つ一つ思い出しながらも本番ならではのエクスタシーを交えながら挑む。
合唱の醍醐味として、自分の声が完全に周りに溶けて自分の声が自分のものじゃない感覚になるという瞬間があって、これはケチャも同じなんだけど、同化する面白さも味わえたりと。
情感を乗せるのは当たり前なんだけど自分の情感だけが一人歩きしてしまうと周りと合わなくなってしまったりと難しさもあったけど(稽古中に「金田」のラッセラ〜を「暴れすぎ!」と言われたり)、全体にはのびのびと歌えて楽しかったな。
「金田」のラッセラ〜の祭感、「クラウンとの闘い」の悪漢的息遣い、そして「未来」の崇高なレクイエム。それぞれを演者として味わえたのはすごく貴重な体験。

 そして何よりお客さんの大拍手!すごかった。こちらが感動したもん。昼の部ですでに拍手の嵐だったので夜の部では急遽アンコールで「金田」のショートバージョンを。それでも拍手が鳴り止まずカーテンコールも。皆さん本当に楽しんでくれたんだな〜って嬉しかった。本当に、ありがとうございました!
今回AKIRAマニアはもちろん、芸能山城組マニアや音響マニア、ジェゴグマニア(いるのか?)も深くマニアックに楽しめる内容だったと思います。そして僕は陀羅尼マニアになりつつ…!

2020/10/29

禍中の研:後編

 さて今回もジュラル星人とその他キャラクターをアンサンブルとして演じてきたけど、特筆すべきは後半のいわゆる“本編”に登場する新型コロナウイルス役。

 本編のパートは脚本が前作を踏襲していたので、前回に牧ジュラルこと牧亮佑くんが演じていたアイアン星がコロナウイルスに変更された形だったんだけど(牧ジュラルは今回お休みで、映画「今日から俺は!」でヤンキーに、同じくお休みの坂下陽春ジュラルはミュージカル「忍たま乱太郎」で忍者として各々人間に化けて活動中〜。)、その牧ジュラルによるアイアン星の演技が絶妙に素晴らしかったので同様の役作りの方向性では敵わないなーっていうのもあったし、色々と試行錯誤して演出家と相談しながら作っていったんだけど(意外とマジメに取り組んでんのよ?)、最初はコロナは人類にとっての完全悪なので観客全員に嫌われるような感じがいいかなという演出案だったので、オラオラキャラや変質者キャラをやってみたり「桃太郎電鉄」のキングボンビーのイメージとか、本編パートの稽古毎に様々な雰囲気でやってみてたけど自分的にも演出家的にもいまいちシックリ来ず。

 う〜ん…な日々が続く中、もしかしたらコロナ自身はもっと悪気がない感じでもいいのかも?という話が出た辺りで幼児性を押し出してやってみたのが本番の原型になったんだけど、幼児っていってもやってるのはおっさんだから紙一重っていうか、見方によっては知的障害者をバカにしてるみたいに思われたりしないだろうかと考えあぐねていて、しかもちょうどプロデューサーが稽古場に来てて側を通った時に「コロナさぁ〜」って呼び止められたから、あ、やっぱり怒られるかなと思ったら「すごくいいよー!」って言われて逆に驚いたという。

 なのでそこから本格的に子供っぽくシフトしていって2歳児のつもりでやってた。
2歳ってまだきちんと喋れないから意思の疎通が難しい上に、歩けるようになっていきなり行動範囲がすごく広がるから子育てする側としてはすごく大変な時期で、もちろん僕は子供も居ないので育てた事もないけど、子持ちの友人いわく2歳児はまさに宇宙人みたいだと。そしてこう見えて子供大好きなのでよくSNSで他人様の子供を愛でてるんだけどホント面白くて。前に友達の子供がオナラした時に自分のお尻から何かが落ちたと思ったらしく周りをキョロキョロ探してて、その発想はスゴイな〜とか。何に笑って何に泣くかも予想外だし。
2歳くらいの子ってまだ頭が重くて足は外股だからヨチヨチした歩き方だし、一度テンション上がるとアドレナリンでずっとキャッキャ言ってて、しかも同じ事を何度も繰り返し面白がって大人の方がよっぽど疲れてしまうほどなんだけど、今回のコロナの役作りにはそういった“テンション上がってる時の2歳児”を応用して、パスカル光線のワチョワチョを食らった時は“自分で頭振って目回るのが楽しくてずっとやってる子”、アルコール除菌スプレーを噴霧された時は“梅干しとかレモンなどの酸っぱい物を食べた時に子供がするイイ顔”をイメージ。
2歳なのでまだ善悪の区別は無く、新型コロナウイルスってまだ産まれて間もないワケだから良いかなと。なのでコロナ本人としては全く悪気はなくただみんなと遊びたい、というかもう一緒に遊んでる気になっている、一応ちょっと相手の話を聞いたり何となく楽しそうとか悲しそうとかは察知しても根本的に内容は理解してない、基本的に好奇心旺盛。

 しかしこれがわりと永遠に出来る演技というか、自分の頭の中を2歳児に退化させれば良いだけなので一度2歳児になってしまえばそのままずっと居られる感じ。セリフは無いけど毎回2歳児に成りきり過ぎて思わず「うきゃきゃ!」とか喃語が小声でこっそり漏れてしまっていたのは秘密。
そんな風に毎回ただ楽しくヘラヘラしてただけだったんだけど、楽日に研1号こと古谷大和さんから、研が本編で現実のコロナ禍への様々な思いを毎回アドリブで吐露するシーンについて「昼はまだふざけるけど、夜の回はしんみりさせたいからコロナも合わせて欲しい」とリクエストがあり、あぁ、そういえばそれまで全部ただ独りよがりでやってたな〜とこの時始めて気付き(古谷さんはもしかしたらもっと前からそうして欲しかったのかも)、でも「雲平さんのコロナの感じたままのリアクションで良いんで」と言ってくれたのでシーンに深みが出るよう夜までに考えておこう!と思ってたんだけど、古谷さん昼の回ふざけるって言ってたのにそのシーンで研が振り向いた時に目が合ったらもうすでに涙目でさぁ〜!

 なのでその昼の回と、その後の夜の回はコロナも少し演技を変えました。最終公演である夜の回は除菌されて死ぬ(?)直前に研を一人一人見て研のキメポーズを真似してて。本当は最期に「けん、ばいばい☆」って言いたいなって思ったけど飛沫防止のためセリフとしては言えず。

 個人的にももっとやりたかった事もあって、チャー研のコロナは現実とは違って太陽コロナから発生して宇宙から飛来したウイルスという設定だったので、もっと宇宙人ぽく尖ったエルフ耳を付けようとしてたんだけど、いくらテープで固定しても汗と動きで取れちゃうからギリギリまで粘ったものの最後の稽古でも取れてしまったので断念。あとは子供ってシールが好きで自分の顔とかにもシールを貼ってたりするのが可愛いなと思ったので顔中に星柄などのシールをペタペタ貼ったりもしてみたけどこれも汗で落ちて舞台上に残ってしまうので諦め。
裸にしたのは、まだコロナの性格が決まってない頃に、単純にジュラルの赤いスーツが見えるのが嫌だ(なるべくジュラルと区別したい)なと思ったのと、何となくコンテンポラリーダンサーみたいにヌーディーな見た目だったら面白いかなって思って裸を提案したものの、ガチな裸だとさすがに作品的に違うかな?と(個人的には素肌の裸にバレエダンサーが着用する肌色のTバックのみとかが良かったんだけど。足も裸足で。イメージ:森山開次)、裸に見えるボディースーツ(私物)を衣装合わせに持って行くもそれだけだとまだエグイって事で紫のブルマを穿いて、靴もちょうどプロデューサーのスリッポンが肌色に近い物だったのでそれをお借りして。(しかもサイズがデカかったから早替えの時にジュラルの手袋を詰めて履いてました。各部署に謝罪!)
後から気付いたんだけど「時限爆弾電送テレビ」のロボット・ブラックも、あとは魔王様も紫のブルマなんだよね。どんだけ紫ブルマ好きなカンパニーなの!

 さて公演が全て終了すれば現実世界に戻るワケで、今回はコロナ対策で前回のように打ち上げも無く「お疲れさまでした〜」と一人一人ポツリポツリと帰って行くスタイル。前回の打ち上げはみんな号泣でそれはそれは素敵な打ち上げだったんだけど。なので逆に明日もまだ公演あるんじゃないかっていう錯覚もあって。
そんな中で古谷さんにお疲れさまでした、今回もお世話になりましたと挨拶した時に、すっごい爽やかな笑顔で「お疲れさまでした!今回は働き者でしたね。」って言われて、あんた!座長としていつも周り見てて自分だって大変なのに場を仕切ったり、ちょっとでも時間があるといつでもダンスの練習してて、本番中も他の仕事も入ってたり楽屋でガウン着のまんま横になって仮眠してるのも見掛けたし、そんな誰よりもいちばん疲れてるであろう人が、よくそんなキラキラした笑顔で他人を労えるな!?…って、雲平さんはそこで泣きそうになりました。

 次回続編!?も発表されたのでまた来年かな?皆様にお会い出来るよう、みなさんも「手洗え、距離を保て、密を避けろ、ディスタンス〜♪」で、元気で居てね〜!

 (もっと舞台公演における現実のコロナ禍についても書こうかと思ってたんだけど(公演やるって決まったの多分ギリギリとか、キャスト&スタッフのPCR検査代だけでも予算持ってかれるよな〜とか)言い訳がましくなったら本意ではないのと、舞台も他のエンタメも何でもそうだけどもともと何かしらの制約は絶対に有る中で如何に最上の物を作るかがクリエイティブという事だし、チャー研は特に花火みたいなもんで無事にパァー!っと打ち上がって楽しんでもらえたらそれで良いモノだからね。)

2020/10/23

禍中の研:前編

 去年に引き続き、LIVEミュージカル演劇『チャージマン研!』の第二弾(R-2)にジュラル星人として出演させてもらった。いわゆる“コロナ禍中”での舞台興行である。
(前回の模様は http://overdosetelegram.blogspot.com/2019/11/blog-post.html を参照してちょ。)

 コロナ云々については後述するのでまずは雲平ジュラルの本番期間のルーティーン、中でもいちばん忙しい日替わりエピソード「ガールフレンドが出来た」回に密着!

 マスク姿で劇場到着するとともに入口で手指の消毒と体温測定、各楽屋に挨拶しながら自分の控え室へ。といっても今回は感染予防のための密避けで楽屋も人数制限があり、見事そこからあぶれてしまった雲平ジュラルの控え室は…廊下!もはや部屋でもない場所にテーブルと椅子が設置され鏡が置かれているのだがテーブルの目の前はなんとエレベーターというスリル満点の控え室。
近くのコンビニで適当に買った食事をついばみながら、廊下は薄暗いので演出部さんにお願いして借りたLEDライトの明かりでベースメイクを進めていると間もなく返し稽古の時間。

 ゲストさんが来る回はその段取りの返し、あとは殺陣やアクションを毎回おさらい。一汗かいたところでまたメイクの続きと小道具のプリセット(使って移動した物をまた最初の位置に戻す事)などを同時進行。しばらくすると制作さんから開場のアナウンス、原作アニメの劇中曲に勝手に歌詞を付けたディスタンスの歌がしつこくループしだす。

 永遠に繰り返されるその歌が始まると、あぁ、もうこの時間が来たか…劇中でお客さんに「開場中トラウマになるくらいループしていたあの歌を思い出せ」なんていうセリフがあったけどトラウマになったのコッチだわ〜と思いつつ筋肉痛のしんどい身体に鞭打って立ち上がりマイクのヘッドセットを付けて衣装を装着。

 ジュラル星人達は開演15分前からステージ上に登場し賑やかしみたいな事をしているのだが、更にその10分前にはキャスト全員が集合して円陣を組み日毎に誰かが音頭を取って気合い入れをする儀式がある。掛け声はもちろん「チャージング…GOOOOOOO!!!!!!」で!
そこで一気に喝を注入し、各袖口に別れて一足先に待機するジュラル達、そして舞台監督の合図とともにステージ上へ。

 去年の公演を踏まえたお客さんが多いようでこの時点ですでに手やペンライトを振ってくれる人がたくさん。嬉しいですね〜!今回は飛沫防止徹底のため歌やセリフも口パクだし、去年のように自由に喋ったりは出来ないもののジュラル同士でワチャワチャしたりお客さんと無言のコミュニケーションを取ったりしてるうちにシレッと開演。
魔王様による口パク宣言の後に始まる怒濤の口パクオープニング主題歌。去年はあんなに「一緒に歌え!」と煽ったくせに今年は「絶対に歌うな!手拍子で盛り上げろ!」とずいぶん勝手なものだけどノッてくれる皆様ありがとう〜!

 主題歌を終えてからが一気に忙しい雲平ジュラル。
捌けたと同時にメイク室前のスペースまで走り込んで衣装さんに手伝ってもらいながら「ガールフレンドが出来た」のキャラクター・みゆきの衣装に早替えをして、メイク室でウィッグをONしてもらうと同時にリップを塗り、左肘の擦り傷をファンデーションで隠す。僕はマイクの機器を右腰に付けているため倒れたりするシーンではその精密機器を庇うため常に身体の左を下にするようにしてるので特に左肘にダメージが大きく、「ガールフレンドが出来た」以外の回では絆創膏とサポーターでガードしてるんだけど、みゆきの衣装はノースリーブで肘が見えるのでそれも出来ず、しかも同じ箇所を何度も擦り剝くので全く傷が治らずジュクジュクした傷の上からファンデーションとベビーパウダーを塗ってササッと誤魔化して舞台袖へ。(テーピングで隠しても汗で剥がれ、その他の膝のアザなどは予めメイクで隠してるんだけどどうしても落ちてくるし腕の怪我は目立つので直前にカバー。)

 「ガールフレンドが出来た」の回では4人の研達にとりあえずまず4回自転車で撥ねられるんだけど(そしてまた肘を擦り剝く)、その後のシーンの研達が非常〜に自由過ぎてとんでもないアドリブをかましてくるのでとっても大変。ブーツやパンティーを剥ぎ取られたり、お姫様抱っこをされたと思ったら思い切りグルグル回されて目は回るしウィッグが取れそうになったり、みゆきのウィッグと研のヘルメットを無理やり交換させられヘルメットも前後逆に被せられて前が見えないし、その後のシーンはウィッグ無しで出るハメになったりと。それはそれは翻弄されまくりで毎回何が起こるか判らず、自分の演技がどうこうよりもいかに研達に食い付いていくか、しかも舞台上なのでなるべく見映えが良いようにわかりやすいようにと精一杯になると同時に、研達のその奔放で力強いアドリブの数々の発信に感心しつつ(稽古時からだけど)、台風のようにこのシーンを終えて捌けたと思ったらすぐに裏の導線を駆け抜け次のジュラ松さんの出番近くの舞台袖へ!

 袖口に待機してるメイクさんにウィッグを取ってもらってリップを拭ってもらい、衣装さんには再度ジュラルスーツとその上へのジュラ松スウェットの着用をアシストしてもらう。この時は同じ舞台袖に六つ子が全員集合して衣装の早替えをしてるのでごっちゃごちゃ。全員準備が整ったら一斉に舞台上に出てスポットライトを合図にポージング。
アグレッシブなパラパラダンスを踊るも、みゆきを演じた時に集中力をほとんど使い果たして半ば抜け殻のようになっているので「ガールフレンドが出来た」の回がある時はどこかしら振付を間違えてしまうトホホな雲平さん。

 踊り終えたらまたすぐに裏を走りながらジュラ松スェットを脱ぎつつ、今度はジュ滅の刃の準備。今回はジュラル星人の腕が前回より長くなっていて手先も自由に曲げられるので普段は山菜のゼンマイのように手先をクルンと丸めているのだが、殺陣の振付上、それが刀に引っかかってしまうところがあるので真っ直ぐに伸ばして腕を短く持つという地味なカスタムをしている途中でいつももう出番。一度斬られて捌けたところでまた腕を元のゼンマイ仕様に戻し(密かに腕の曲線にこだわっていた。)、最終的に狼牙風風拳で心臓をえぐられて死亡、舞台上で死んでる時が唯一の休息タイムなのだが、またすぐ魔王様に蘇生させられてしまうので息が整う間もなくシラスの歌とダンスに突入。
お気付きの方も居るとは思いますがシラスの歌も実は去年と歌詞が微妙に変わってる部分が数カ所あって稽古中はそれがけっこうなトラップだったなー。(口パク用の録音をする前は実際に歌って稽古してたんだけど去年のバージョンが身体に染み込んでいたという。)

 シラスが終わってまたも息が上がってる中でアピールタイムに。ここでやっと地声で喋るためマウスシールドを着用。あんだけ口パクと言っておいてけっきょく声を出すっていう。このマウスシールドがまた焦って付けるとマイクのヘッドセットに干渉してしまったりして厄介なモノで。
去年はアピールタイムへの登板をほとんどしなかったけど今年はジュラルの人数も少ないので話をコンパクトにまとめて相変わらず喋るのみの芸でわりと多めに参戦。アピールタイムの時は宅飲みしてるみたいで楽しいんだよね〜。

 そして10分間の休憩に入るんだけど、雲平ジュラルは実はこの休憩時間中に後半のコロナウイルス役の時に着てる裸に見えるボディースーツをいちばん下に仕込んでおくという作業があるので実質休憩なし!(裸ボディースーツがかなりタイトなため着用に時間がかかりコロナ役直前での着替えだと間に合わないため。しかもアレ、私物。)その上からジュラルスーツを着て、なおかつチャージマンドリームの投票結果で魔王様がチャージマン研になった場合は魔王様が神回再現コーナーでやってた役の代役をやるので更にまた上から代役の衣装を着るという、まるでタケノコの皮のような重ね着地獄に。
再現コーナーへの出演が終わってお客さんがアニメを観ている間がやっと本当の休憩。衣装を焦がさないようにガウンを羽織ってタバコを一服。

 間もなく星くんのモノローグが始まると本編スタート。まずはジュラル姿で主題歌を、今度は全員生歌で歌い、曲中のアクションと激しめのダンスを終えて捌けると今度はすぐにコロナウイルスにチェンジ。
ここでも演出部さんと衣装さんが手伝ってくれて、まずはジュラルスーツを脱ぎ、下に着てた裸スーツの上からブルマを履いて襟足の髪をまとめ、頬にピンクのチークを足して、ウイルスの書き割り衣装を装着、水分も充分に補給。
ウイルスの出番前はロビーで待機してるんだけどここでいつも同じく待機中の魔王様と一緒に泉パパの歌声に酔いしれている。そしてウイルスなのに会場備え付けの消毒液で手指の消毒。

 コロナウイルスは喋らない役だしウイルスがマウスシールドしてるのもどうなの!?って事でシールドは無し、ヘラヘラしてるだけのようでけっこう運動量がある(というか実はいちばん疲れる)ので息も上がるし喉も乾燥するので研達にアルコールスプレーを噴霧された時のミスト効果に感謝してたり。
それでもハァハァ言いながら捌けてまたすぐ上からジュラルスーツを着用。水もガブ飲み。本当はチークも落としてメイクもリセットしたいところだけど、もうそんな時間というより気力がないのでエンディングはピンクの頬のままの雲平ジュラルでした。

 カーテンコールで一度捌けて法被を羽織ってダブルカーテンコールなのだが、これも去年は1.5倍速だったのに今年は1.75倍速に。なぜそこをバージョンアップさせるのか。速度が上がるとその分ダンスがキツイんだけど、隣で首もげるんじゃなかろうか?と思ってしまうほどキレッキレで踊ってる星くんが居るので雲平ジュラルも頑張る。
千秋楽はトリプルカーテンコールまであったけど通常はここで終演、汗だくでお疲れさまを言い合って各々着替えたりしてやっと一息つけるという。

 しかしこれが昼の回だったりすると数時間後にはもう夜の回なので、またディスタンスの曲が流れ始め、あぁ、もうこの時間が来たか…と重い腰を上げる事になるのである…!!!

続く


2020/07/27

渡辺課長への弔辞

 渡辺課長

 僕は渡辺課長のような年齢でもなく、役職に就くような仕事もしていないし、大病を患っているわけでもなく、子供を育てた経験もありませんが、それでも渡辺課長が飲み屋で小説家に打ち明けたように、ひと思いに死のうとしたけど死ねなかった経験があります。僕の場合は渡辺課長のように社会の中で忙殺されて生きる意味を見失っていたのとは逆に、社会そのもの、人間そのものに馴染めず死を意識したのですが、やはり誰にも相談出来ず、それでも結局は死に対する恐怖に打ち勝てず精神病院に入院して何とか騙し騙し生きてしまっています。でもそれは渡辺課長のように自分の意志で何かを成し遂げてその結果や意志が他人に受け継がれるという、本当の意味での「生きる」ではなく、ただ息をして物を食べて、たまに楽しいと思う事を気休めにやっているような、物質単位での生です。渡辺課長が純粋に心を奪われた、事務員の若い女の子の天真爛漫さ、奔放さ、そして何よりキラキラしている生命力には僕も憧れがあります。電車の中などで遭遇する健康的な体育会系の学生達が楽しく喋っているのを見たりする度に、どうして自分はこうではないのだろうかと考えてはいつもそこに執着が生まれます。なので渡辺課長がその女の子にそれはなぜなのかと詰め寄った気持ちが痛いほど解りました。そしてそこには特に答えがない事も。でも渡辺課長はそこから自分で意味を発見して生まれ変わりました。それ以前の小説家との不道徳的な遊びの数々、すなわち悪徳からは見出せなかった生き甲斐が、仕事を通して他人に奉仕するという美徳によって目覚めたのです。その生まれ変わりを祝福するようにちょうどハッピーバースデーの歌が流れ、渡辺課長は颯爽とその場を去って行きました。それからの渡辺課長の行いは周知の通りですが、僕はその渡辺課長の姿がとても羨ましく感じます。本当の意味での「生きる」というのはとても難しい事です。頭では解っていたり、理想としては持っていても、目の前の事に追われたり、またそれを言い訳にしたりして、なかなか踏み出せなかったりします。それは日本社会の“出る杭は打つ”という体制もせいも充分あるとは思うけど、結局は自分の意志次第だし、でもそれこそ死を目前にしないと気付けず、やろうとも思わない大変な事だったりもします。渡辺課長が事務員の女の子のストッキングが破れているのを見て何気なく新しい物を買ってあげたらひどく喜ばれた、あの出来事もとても大きかったのでしょう。困った人に何かしてあげてその人が喜ぶ姿を見るのが自分の喜びになるという事、それは昔も今も根源的にはある事だけど、人間というのはとても利己的だからそこまでの喜びに至れない、もしくがそれが喜びになる事も知らないまま過ごしています。かくいう僕も、人生折り返した今でも、自分が何のために生きているのか、自分には何が出来るのか、何が残せるのか全く判らないままです。渡辺課長のように他人のために奉仕をするという精神もいまいち持っていなくて、それが自分の「生きる」という事になるかも不明ですが、自分にとっての「生きる」とは何であるのかを本当に死ぬまでにはせめて見つけたいなと思います。それが例え形に残らなくてもいい、意志を他人に継承されなくてもいい、渡辺課長ほど立派でなくてもいいから自分の存在意義を見つけたいです。最後に、とても印象に残った、渡辺課長の瞳の光について述べたいと思います。一つは、小説家と一緒に遊び倒した最後に車から降りて暗がりの中で見せた、企んでいるような、諦めたようなニヒルな笑みと共に光った瞳です。暗がりの中で更に帽子で影になった真っ黒の顔に瞳の光だけが浮き上がって、不気味な、悪魔的な印象を与えていました。その時に一緒に居た女性達はすごく下品で退廃的で、後の事務員の若い女の子とはとても対照的でしたし、数々の遊びも渡辺課長には何一つもたらす事なく、絶望の黒だったんだと思います。もう一つは、公園建設現場で渡辺課長が倒れ、地域の婦人会の人々に水をもらい、それを飲んで顔を上げた時の瞳の光です。日差しを受けて真っ白く浮き上がった顔の瞳が本当に綺麗に光っていて、信念と希望に満ちた明るい白でした。人生にも光と影はありますが、それを端的に瞳の光で表現出来るというのは何と凄い事なのかと衝撃を受けました。渡辺課長は決して目立つ人物ではなかったけれど、そても強く、優しく、そして何よりきちんと「生きた」人でした。あなたのようになれるかは僕には自信がありませんが、あなたに出会えて良かったと思っています。



‐以上、黒澤明監督『生きる』に寄せて

2019/11/13

大団円:後編

 小劇場系の劇団は予算がないので稽古も区民センターの狭い部屋なんかでやってたりするんだけど、今回はさすが商業演劇、稽古場も実寸が取れてる!とそんなとこにもいちいち感動したものだが実際の寸法が取れてるのはあくまでステージ上の面積であり会場全体の広さではない。今回の会場だった新宿FACEは普段プロレスなどやっているのでステージが真ん中にありその四方をお客さんが囲むという形。余談だがこの会場、昔はLIQUIDROOMというクラブ(現在は恵比寿に移転)で向かいにあったCODEと共に新宿の大箱として賑わっており週末のイベントによっては長蛇の列が出来るほどで、年末にはよく石野卓球が年越しカウントダウンのDJをしたりなんかしててクラブキッズだった僕もしょっちゅう踊りに通ってて、フロアの客がみんなで一斉に跳ねると床がドゥンドゥンと揺れてたのをすごく憶えている。なので重低音もバッチリの作りなのだが、今回は役者とお客さんがロビーやバックヤードに移動して観劇するシーンもあったり、ステージも出捌け口が4箇所あって捌けきるまでのストロークが長い上に観客から丸見えetc...というのは稽古時にも想定してやってたもののいざ実際の会場に立ってみると思ってたよりも色々と大変で、場当たり(劇場でのシーンごとの確認、照明や音響の合わせ)で一つ一つ問題点を改善するも段取りの変更などもあって直前までバタバタしてたけど無事に初日。

 お客さんの異常な盛り上がりに演者が唖然とするほどのスタートを切り、あっという間に千秋楽。気付けば毎日たくさんのお客さんに囲まれて、今回の目玉企画であったニコ生での中継配信も延べ12万人が視聴するというモンスター公演になっていたのである。

 毎ステージをニコ生で配信してそこへの書き込みがステージ上のモニターにも映し出されるという無謀な試みも企画倒れにならなかったばかりか、もともとのチャー研アニメが再び陽の目を浴びたのもニコ動のコメントによる突っ込みの面白さも含めたものだから、そこへのリスペクトとそれを反復出来る面白さもあって、更には普通だったらネットで舞台公演を無料で観たらそれで満足しちゃうけどネットで観てから生でも観たいと劇場まで足を運んでくれたお客さんも多かった事。
書き込みによる突っ込みも秀逸なのが多くて出演してると逆にそれがほとんど観れないから歯がゆいくらい。

 そしてもう一つの目玉としてそのニコ生の機能を使って好きなキャラクターにリアルタイムで投票し、得票一位だった者があるシーンで主人公・研になれるというこれまた斬新なシステム。(そのためにはスマホの電源もONでなくてはならないのでどうせなら写真撮影も可にしちゃえ!っていう。)

 そこで用意されたのが日替わりのジュラルアピールコーナー。我々アンサンブルのジュラル星人達はメインキャストの皆様のように知名度もないので、「ジュラル星人が“個性”をアピールする」という名目で自身のお披露目が出来る場である。というか要するに一発芸コーナーで稽古中にもしょーもないギャグが生まれては消えていったワケですが、各々の持ち味を活かし毎回ランダムな人選でお届けする中、僕はアンサンブルでは年長者だし若いジュラル達に活躍して欲しいっていうのと、てか一発芸なんてね〜よ!っていうのもあって(ホントはコルセットで腰をギリギリ絞ってウエストをジャスト40cmまで細くするという特殊体型を活かしたフェティッシュな芸を用意していたのだがヘッドセットマイクの機材が腰の位置に来る事になったので断念)11ステージ中2回のみの登板、さも瀬戸内寂聴の説法かのように内容が有りそうで全く無い話を延々するだけという謎の話芸。このコーナーはジュラルチーフの浜ロンさんがそれぞれの芸や全体のメリハリを監修してくれて僕も自分が出るとなった時(最初は全く出るつもりなかった)にダラダラ喋って適度なところで自分から輪に戻って座るという段取りを付けてもらったんだけど、本番で喋り始めたら自分でどこで止めればいいのか判らなくなってしまいけっきょく浜ロンチーフに「座れ」と諭されて終わるスタイルになってしまったという。

 内容の無いダラダラした話と言いつつもあの話には実は続きがきちんとあって、「個性」という事で、個性的と言われる自分の見た目、ピアスやタトゥーとそれにまつわる職質などのエピソード→ピアスもタトゥーも他人から施された物なのにそれを個性と言えるのか?→では生まれながらの肉体はどうか?→DNAにより体格、髪や目や肌の色など多くのものは決定してしまい生まれながらにして規格にハメられている→だがしかし親の完コピではなく両親の遺伝子が一部情報交換する事でここで初めて自分だけの「個性」が生まれる→しかも最近の研究では体験や感情も遺伝子の中に情報としてインプットされ受け継がれているとの事→我々ジュラル星人は仲間が研に殺される姿を幾度となく見ている、その体験は恐怖・悲しみとして何度も受け継がれいつしか我々は研に殺されて当たり前の生き物になってしまった→その現状を覆すためには我々はまず生き延びなくてはならない→そして我々が個性を発揮するためには遺伝子情報の中の変えられる部分、すなわち感情と体験を「死の恐怖と悲しみ」から「生きる歓び」に書き換えていかなければならない→楽しく生きる事自体が個性なのだ!!!意外といい話!完!みたいな。(適当)

 若衆ジュラル達は日々のアピールで会場とニコ生上でもどんどん認知され得票もされるようになり、見事、研にまで上り詰めた者も。まさにチャージマンドリーム!惜しくも研になれなかったジュラルもその名を世に充分にアピール出来た上に、この公演に出演していたという事が今後プロフィール上で重要な役割を果たすかもしれない。

 こうして出演者誰もが「俺のターン」を持つ事が出来る優しい演出でした。

 でもこれは出演者だけでなくお客さんだってそうなのだ。一緒に歌って踊ってペンライト振って写真撮ってコメント書き込んで投票してって楽しく参加する事こそがこの公演を作る大部分を占めるのだし、それはまさに「貴方のターン」なのです。(粋な事言ったよ!)

 ペンライトといえばジュラル星人のみで歌い踊るシーンでは最初はそこだけいきなり盛り下がりまるで汚物を見るような目で見られていて(もしくはスマホいじりタイム)、楽屋に戻ったジュラル達がしょげたり「死ねっていう目だった…」と怯えたりしてたものだけど、日に日にペンライトを振ってくれるお客さんも増えて、後半はジュラルをイメージしてくれたのだろう、赤一色のペンライトがいっぱい揺れてて感動したよね〜!ちょっと王蟲の群れみたいだったけど。
こういうのってスゴイなって思うのは、別に作り手側はジュラルのイメージカラーは赤ですよ!なんて一言も言ってないし、お客さん同士だって別に打ち合わせするワケでもないだろうに一体化してるのがとても不思議で。僕はそれまでいわゆるオタ文化(って言葉で語弊があったらごめんなさい)をよく知らなくて、推しっていう概念とか、みんなTwitterのプロフィールに「成人済み」って書いてあるのは何なの?とかいまだに謎も多いんだけど、そのまるで訓練を受けたかのような連帯感に驚いたし、お◯松さんのパロディーのシーンではそれぞれの推しが着てるトレーナーの色に合わせてペンライトの色も設定してたりとか、なるほどな〜って思ったり。すごくクリエイティブだよね。好きなものをとことん楽しむプロっていうか。

 俳優ファンにとってはもっとオシャレでカッコイイ姿が観たかったかもしれないし、チャー研ファンにとってはやっぱ原作の方がいいっていうのもあったかもしれない。でもソレはソレ、コレはコレで、みんなで楽しんで作った公演というのは間違いないだろう。

 個人的には失敗もたくさんしたから後悔もあって、振付間違えたり衣装の手袋やマスクが間に合わなかったりヅラがズレたり取れたりセリフちょっと噛んだりと色々あったけどいちばんのミスは、オープニングを出トチリした回があった事。なんかその時だけなぜか勘違いして次のシーンの衣装を着始めてて、オープニング曲が聴こえて、アレ?からのめっちゃ焦って着かけてた衣装を脱ぎ捨ててバックヤードを爆走し歌い出しまでには間に合ったけど…というギリギリアウトなヤツ。しかもDVD収録日。クソ〜、着替えが多いんじゃ〜!!!
毎回間に合ってはいるけどギリギリだったのは西側から捌けて次にすぐ東から出なきゃいけないとこがあって、そこもいつも裏をウサイン・ボルト並みの速度で疾走してからシレッとした顔で出るっていうね。出捌けが遠いんじゃ〜!!!
喉も枯れて、何とかラストまで潰れはしなかったし観に来てくれた友達にも声の枯れは特に気にならなかったとは言われたけど、自分的にはどうしても気になっちゃうし本域の声質や声量じゃなかったのが悔しい。叫ぶセリフと歌が多いんじゃ〜!!!のど飴と響声破笛丸のドーピングで何とかもたせたよね。あと僕はマイクを付けるのが初めてだったから自分の声がどんだけ聴こえてるのかがいまいち判んなくてそれでついつい大声になっちゃってそれでまた音声さんがボリューム落とすっていう負のループが。

 でもやっぱ楽しかったなー。大人が一生懸命バカな事やってる姿って愛おしいよね。配役の適材適所感も含め。

 それでもみんな個々に色々抱えてたり想ったりしてた事もあったみたいで、打ち上げでそれがやっと解放されて泣く人続出。いいんだよ大人になっても嬉し泣きしたり感涙したりもらい泣きしたりして。何にも恥ずかしくない。みんな素敵でした。

 さて続編をやると発表されてましたが果たして本当にあるのか!?その時は僕にもオファーが来るのか!?スタッフとしてでもいいよ!?でも普通に客として観たいっていうのもあるけど!

 改めてご来場・ご視聴頂いたお客様、共演者の皆様、スタッフの皆様、関係者各位、ありがとうございました。楽しかったよ〜ん!

2019/11/10

大団円:中編

 舞台というのは他のエンターテイメントに比べてとても非効率的で、本番は一週間しかないのにそのために稽古は一ヶ月間しなきゃいけないっていう、コスパで言ったら最悪なコンテンツで、でも逆に言えば観客の目に耐え得るものを作るにはどうしてもそれくらいかかってしまうのだ。

 稽古という名の一ヶ月の共同生活、初めましての人ばかり。気分はもうテラスハウスである。(男だらけの。)

 ジュラル星人のアンサンブルってもっと30人くらいウジャウジャ居るのかと思ったし一般応募からももっと居るのかと思ってたけど、計8人で一般からは僕と後のパパ役である篠原麟太郎くんの2人だけ、この2人以外はもう先に決まってて、みんな芸能事務所に所属してるし、でも同じように例のオーディションに通過したメンバー。

 ここで少し自身の舞台経歴に触れておくと、学生時代(もう20年前とかになるけど)に「ロリータ男爵」(以下ロリダン)という名の小劇場系の劇団で初めて舞台に立ち、そこはもともと多摩美術大学の演劇部から派生した劇団でしかもミュージカルなのだがミュージカルの大袈裟な部分を逆手に取ってバカバカしい事をやってたとこで(主宰の田辺茂範氏は今は脚本家として『トクサツガガガ』全話や初期の『けものフレンズ』を書いたりしてて『チャージマン研!』も初日観に来てくれたんだけど、告知を送った時に「チャー研やりたかったんだよ、うらやま〜」って言ってた。そして今回のチャー研の宣伝美術や物販のデザインをしてる人が多摩美演劇部出身でロリダンも観てくれてたので僕の事も知ってたという!)、僕は美大生ではなかったけどデザインの専門学校に通っていたので関係も近しく、そのロリダンが『信長の素』という織田信長をテーマにした作品で武士のアンサンブルを大量に募集していた時にクラスメイトのロリダン好きが一緒に参加しようよ!と言うものだからあまりよく解らぬまま参加したのがキッカケで、だから俳優志望も全くなく、当時は演劇というと電車の広告で見る劇団四季や『レ・ミゼラブル』みたいなのか、もしくは寺山修司などのもはや様式化されたアングラしかイメージがなく、いざロリダンに参加してみたら演技は素人同然のゆるさな上にみんな美大生だから舞台セットや美術や小道具を手作りしてて「こんなんでいいんだ!?」という衝撃が強かったけどそれが新鮮で楽しくて、でもロリダン側も僕に対する衝撃があったみたいで、それは一応時代劇だったのでアンサンブルは自前で戦国時代の格好を用意してくださいとあって、僕を誘ったその友人に「どうしよう?」と相談したら「ロリダンはゆるいから何でも平気だよ〜」と言われたのを真に受けて取り敢えず自前でそれ(戦国)っぽくするか!とコーディネートしたのが、頭には兜代わりにガスマスクを乗せ、トップは忍者の描かれたよく京都とかで売ってる土産物のTシャツ(しかも子供用なのでパツパツ)、ボトムは酒屋の前掛けをして、下駄履いて背中にはこれまた子供用のオモチャのプラスチック刀を背負って衣装合わせに行ったら他の人達は美大スキルですんごいリアルな鎧とかを手作りしてて、ヤバっ…と思ったけどロリダン側もこいつヤバっ…って思ったみたいで、でも面白いから良しとした模様。

 これは後から告げられたのだが今回の『チャージマン研!』のオーディションでもやはりヤバイ人だと思われていたようで、一次の書類で何だコイツは?と画像検索をかけたらやっぱりヤバくて、でも普段は普通なのかもと呼んでみたら実際もヤバくて「殴られるかもと思った」とさえ言われ。デフォルトですけどね、それが。コチラとしては。

 なので他の出演者からも最初は敬遠されまくり、自分も今までの人生で散々「怖い」「何話していいか判らない」「緊張する」など言われまくってきたので自分から話し掛けるのも威圧感あったら申し訳ないな…っていうのもあったし、コチラからしてもみんなイケメンで爽やかな人ばっかだから何話していいか判んないし、っていう平行線の状態がしばらく続いたものの主に喫煙所でポツリポツリと色んな人と話し始めて徐々に打ち解けていくスタイル。稽古前のアップではプロディジーやアタリ・ティーンエイジ・ライオットなど暴力的な音楽を聴いて自分を鼓舞していたのはナイショの話。

 そんな中で僕はセリフの憶えが昔から異常に悪く、今回も2行くらいのセリフすらいつまでもまともに言えなかったりと。僕のセリフ憶えの悪さの原因は諸説あって(×諸説→◎言い訳の数々)、先述のロリダンが稽古初日に台本が全部上がってるという事がなくて、稽古中シーンごとに台本が追加されて随時それを読みながら稽古を進めて行って本番の数日前にやっと台本を手放して通すという形だったのでわりと長い期間常に台本を持っているのが当たり前だったから手放すと不安が大きく、文字を暗記するだけならまだしも芝居だから動きながらセリフを言うので考える事が増えるし相手役と目が合うと動揺したりして色んな事に気を取られてしまったり、単純にセリフが自分の体を通してシックリくるために言葉だけじゃなくそういう動きとか気持ちとか自分から見える景色とか諸々全てが合致してからじゃないときちんと憶えられないから時間がかかってしまうのです。なので逆にセリフの言葉だけ先に憶えられる人が不思議で仕方ないっていうか。いわゆるポンコツですね。Windows95くらいの処理能力。(てか書いてて思ったんだけど普通に軽度の発達障害よね。)

 そんな状態をね、メインキャストの皆様は面白がって笑うのですよ。

 みんなセリフやダンスの振付とかも憶えがすんごい早いの!それが当たり前なのかもだしプロだからと言えばそれまでかもだけど、長〜いセリフもね、すぐに憶えてて。しかも皆さんいくつか現場か掛け持ったりもしてる中で!何なん?て思うわー。
だからそういう人達からしたら僕みたいのは珍獣みたいな感じがするんだろうね。

 その情けなさったらないよね。

 悔しいというより人間としての格差に落ち込むというか。

 更には、いまだに舞台の上手(かみて)下手(しもて)すら迷う人間なのに今回は出捌け口が4つもあるから自分がどこから捌けて次にどこから出るのか、そして同じ主題歌をバージョン変えて何回も踊るから振付がごっちゃになったりして連日パニックで、夜型の人間が日中動いて太陽の光を浴びるだけでしんどいのにバキバキに踊らされてヘトヘトになって帰宅して仕事進めてっていう地獄のルーティン、20代ならいいよ寝れば回復するから。しかしこっちは40才なんじゃ〜!!!と蓄積する疲労と摩耗する体力をひしひしと感じながら、でも板の上に乗るのであれば皆条件は一緒。せめて足を引っ張る事だけは避けたい、ただそれだけを念頭にポンコツおじさんは日々お稽古を頑張るのでありました。

 僕が関わってきた小劇場系の劇団っていわば自主制作のインディーズみたいなもんだから今回みたいにきちんと制作会社が入ったりしてる舞台の現場は初めてで、だからメチャクチャな作風とかは散々やってきてむしろ慣れたもんで懐かしさがあったしなんならお手の物だけど(例えば今回客席にキャストが乱入したりもあったけど、ロリダンでは傾斜の付いた客席を崖とみなし後方の座席から椅子の背もたれ部分に乗ってお客さん達の頭を跨いで越えながら舞台上へ向かったりしてたので)、顔合わせとか座席に自分の名前の書いてある紙が貼ってあって様々な関係者達の前で一人一人コメントを…とか大人の現場過ぎて萎縮したもんね。もうホントいくつになってもそういうキッチリした雰囲気が無理で死ぬかと思ったわ。コメントもしどろもどろになって自己嫌悪。
しかも今回ドキュメンタリー映像の撮影が入ります!って、素の状態を撮られるのが大の苦手だしみんなイケメン俳優の普段の姿を観たいのであって俺なんて誰も観たくねーだろって事で、むしろ撮る側に回ったよね。そうすれば自分が映らないから。

 でもこれが予想外に楽しくって。なんだろね、生じゃないと見えない部分て確かに多いんだけど、逆にカメラのモニター越しに見えてくる事もたくさんあって。

 例えば顔のアップなんて撮ってると普段とは違う至近距離で顔が見えるので、眼差しとかね、物事への取り組み方にもそれぞれ個性があって面白いんだよね〜。板の上で素敵な人というのはそれ以前に素敵なんだよね。人の魅力。

 稽古ではゆるくやってるようで細かいダメ出しも多く、特に発声であったりその音域であったりセリフのテンポだったりの、声を音として捉えた時のイメージに演出のこだわりが見えて、それは全体のリズムだったりシーンの雰囲気やそれぞれの役柄の性格に反映されていったのも興味深かった。
役作りなんかも稽古期間で各々試行錯誤があって最終的なものを本番で演じているワケだけど、そこに至るまでのボツになったモノ達もいちいち面白くて笑ってばっかの稽古場だったな。メインキャストの皆さんも積極的に代役とかやってくれてそれがまた可笑しかったり。そういう「必要な無駄」をたくさん重ねて産まれた作品で、その面白さの底上げをしてくれたのはやはりメインキャストの皆様で、例えば僕なんかがコレくらいかな?と思ってやった演技の倍以上の演技を即座に提示してきて、そうすると、あ、もっとか!ってなるしギアをいきなりトップに入れる訓練にもなって、そうやって引っ張ってくれたおかげで全体の面白度も上がったんだと思う。

 一ヶ月間、全体としてはとても順調で、通し稽古も何度も出来たし、何回「GO! GO! 研!」て言ったのか計り知れなくて、あとは劇場で実際に動いてみる事を待つばかり!と完璧に近いような終わりを見せた稽古であったが、実際に会場入りしてみるとそこには様々な罠が我々を待ち受けていたのであった…!

続く